Lifeismine’s blog

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見える努力と見えない努力

どうもらっきょうです。

 

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今回はこちらの題で書いていこうと思います。

 

見える努力

          

            見えない努力

 

私の考える見える努力と見えない努力

 

そして私の経験から思う上手な努力の仕方について書いていこうと思います。

 

 

まず私の考えるこの二つの努力について例え話を用いて説明しようと思います。

 

 

私が考えるに努力の仕方はそれぞれですが

努力できるということは才能です。

 

特に見える努力ができる方は世渡り上手で

上司は学校の先生など目上の方から好かれる印象があります。

 

この見える努力の例としては会社でいう残業。

学校では自主的に居残りして勉強する。

 

そして上の二つの例に共通してあるのが誰に見やすい場所であること。

学校の図書室とかは別ですけど大学だと大きな勉強スペースとかありますよね。

 

簡単に言うと上司や先生が見ている、見やすい、通りかかる場所ということです。

 

 

それに対し見えない努力というのは

自宅で行う。カフェに行くなど誰にもみられず

一人黙々とする努力のことですね。

 

 

この二つの努力の圧倒的違いが一つあります。

 

それは過程を評価されるかされないか。

 

 

もちろん過程を評価されるのは見える努力ができる方です。

 

そしてこの過程が大切です。もし仮に結果がすぐれないとしても

「いやお前はあの時頑張っていたよ。次頑張ればいいさ。」という言葉がかかる

場合があります。

ない場合もあります。(笑)

 

ただこれは見えない努力をしている方には過程を評価してもらう権利すらないので

見える努力をしている方の特権になります。

 

人間の心理からして誰しも心のどこかで評価さらたいと思っています。

そんな中見えない努力しかしていない方は評価されず

見える努力をしている方しか評価されないのならば

不平不満が溜まる一方ですよね。

 

ちなみにこれは私の実体験です。(笑)

 

私はどうしてか見える努力が上手にできなかったんですね。

 

学校の勉強スペースでは集中できず、家でしか勉強できませんでした。

だから学校では居残りせず授業が終わると直ぐに帰宅。

 

周りは居残りで勉強している。そんな中私は帰宅していたわけですから

先生からしたらあいつは勉強しているのかとなりますよね。

 

ただ私の通っていた学校は結果が全てという思考の学校でしたから

幸い結果だけは出ていたので大丈夫でした。しかし過程が評価されないんですね。

過程が評価されるのはいつも学校で勉強して結果を残している人たちだけでしたね。

 

もちろんその方たちの評価は相当高いですよね。

 

ただ人を育てるという目的がある場所において

過程を評価されないのはいかがなものです。

 

とまあ愚痴みたいになるのもあれなので

私の経験からみなさんに言えることは一つです。

 

見える努力を上手に使いましょうということです。

 

これは社会を生き抜いていくには欠かせない一つの才能です。

 

もちろん見てくれている人はいます。

 

ただ圧倒的にみていない人の方が多いです。

 

ならば自分から行動するしかないです。

 

そして一つ注意点があります。

 

この見える努力

目上の方には好かれます。

 

同級生や立場の近い人には嫌われます。(笑)

 

使いすぎた場合ですよ??

 

本当に上手に使ってください。

あまりに多用すると自分の立場がなくなるかもしれないです。

ただ上手に使うことができれば最大の武器になります。

 

ぜひ上手に使ってください(笑)

私も練習中です。

ではまた。

 

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